「青の詩人」上野憲男展に寄せて

画家・上野憲男(天塩町出身、1932~2021)さんの急逝を知ったのは昨年6月のことです。北海道アートの草分け的存在として活躍され、北海道美術に大きな影響を与えた上野さんを那須のアトリエに訪ねる予定でした。新型コロナウィルスが蔓延しその影響が落ち着いてからと、話をしていた矢先のことでした。ご子息の透史さんによると心不全とのこと。秋には釧路市立美術での個展をひかえていました。もっと早くお会いすべきだったと後悔の念が胸を締め付けました。

上野さんといえば「青の詩人」ともいわれ、その詩情あふれる作品は今も多くの美術ファンを魅了してやみません。

上野さんとの出会いは30年程前、当ギャラリー開設時にさかのぼります。当時、北海道立近代美術館(札幌)で副館長を務めていた叔父から「是非、合わせたい人がいるから」と紹介され、札幌のギャラリーで個展を開催中だった上野さんにお会いしました。会場に一歩足を踏み入れたとたん、青とブルーグレーの世界に包まれ息をのみました。画面には記号や文字が浮遊し、心地よいリズムを刻んでいます。絵画からはまるで詩や音楽が聞こえてくるようでした。ジーンズ姿に豊かな銀髪の紳士は、「私の絵が好きですか」と静かに訊ねられました。私はすっかりその画風に魅せられ、展示されていた作品をすべて旭川の画廊にもっていきたい衝動にかられたことを懐かしく思い出しました。

その翌年、旭川のギャラリーシーズで上野憲男展が実現しました。その後も上野さんの紹介で北海道ゆかりの画家・難波田龍起さん(旭川出身、文化功労者)や小野州一さんなど多くの優れた美術家を紹介いただきました。加えて20年もギャラリーの人気企画として親しまれた「リエゾン展」の名付け親でもあります。

11月に透史さんの協力で、当ギャラリーで「上野憲男展」を開催することができました。1970年代の油彩から晩年の作品まで計36点を公開し、併せて透史さんに「父・上野憲男について」語っていただきました。

作品を眺めながらふと上野さんの声が聞こえたような気がしました。

肉体はこの世からなくなっても作品は永遠の時を刻む。遺された作品がある限り画家はその作品の中で生き続けることができるに違いないと・・。