「放浪の天才画家 山下清展」の見どころと作品の魅力 その2

「放浪の天才画家・山下清展」は9月18日(土)から道立旭川美術館で開催されます。

山下清(1922~1971)は「日本のゴッホ」「裸の大将」と呼ばれ、彼の「放浪日記」(1956年)はドラマや映画、舞台などに取り上げられました。テレビドラマ「裸の大将放浪記」(1980年~)は爆発的にヒットしましたが、実像はドラマとは違うところが多くあります。

 

山下清は1922年(大正11年)に東京の浅草で生まれました。3歳の頃、病気で軽い言語障害と知的障害の後遺症を患い、それがもとで小学校ではいじめを受け孤立します。母は清を福祉型障害児施設・八幡学園(千葉県)に入園させますが、そこで教育の一環として行われていた「貼絵」に出会い、才能を開花させます。最初は身近な昆虫や花などを描きましたが、貼り絵の技術も著しく上達し、15歳のときには「特異児童作品展」に出品。安井曾太郎や梅原龍三郎などの巨匠の目にとまり、完成度と表現力で高い評価を得ました。

ところが、18歳になると清は突然放浪の旅に出かけます。15年にも及ぶ期間、日本中を放浪しては、実家や学園に戻ってから記憶をもとに絵を制作するという生活を続けました。それは「放浪日記」として記録に残されています。

1956年(昭和31年)に東京の百貨店で初の個展が開かれ、初日から大盛況で80万人という動員を記録しています。有名人となっていた清の当時の人気ぶりが伺えるエピソードです。

 

さて作品の見どころとして、代表作のひとつ「長岡の花火」を見てみましょう。3ミリ程度に千切られた色紙が無数に貼り付けられています。細部にまで細やかな表現は、一見貼り絵とは思えないほどリアルで緻密です。また花火の部分には独特の手法「こより」(紙を細く捻じって紐にする)が使われていて、細密描写の中にも臨場感あふれる花火が表現されています。

山下清は放浪先で見た風景を記憶だけを頼りに描くことができました。そこにはありのままを描く写実とは違って、心の中にある心象風景が描かれているのです。この並外れた観察力と記憶力、表現力が山下清の持ち味です。版画家の池田満寿夫は山下清の風景画を「まさに日本人の原風景にほかならない」と自著に記しています。(つづく)

 

山下清『長岡の花火』貼絵(1950年)
※展示作品は変更になる場合があります。